合資会社中京自動車工場として戦後間もない1945(昭和20年)12月、瑞穂区堀田通9丁目33番地にて創業しました。残念ながら正式な日はわかりません。
その後、日産のトラックシャシー(890cc)に自前のボディを載せて、愛称「宝ビック」とした車を製造したことも有るそうです。
その後中京自動車工業株式会社と改組改名し、1969(昭和44)年からは今のマイクロバスの二次架装を始め、1979(昭和54)年9月整備工場と一緒だった架装部門を分社独立し、今の中京車体工業株式会社が設立されました。昨年設立40年を迎え、今年創業75年となりました。四半世紀の長きにわたり車の車体を作り続けてこれたのも、取引様やエンドユーザー様のおかげです。
現在新型コロナウイルスの蔓延で大変な世の中になっておりますが、戦後間もない創業期も五里霧中だったと容易に想像ができます。私どもは、「人をわくわくさせる安全で快適な移動環境の提供を通じ社会に貢献する」をスローガンに邁進して参りました。今後もコロナ禍コロナ後の社会のお役に立てるような車作りを目指して尽力してまいります。
これからも末永くご愛顧を賜りますようよろしくお願いいたします。